子どものいる女性なら誰しも、多少なりとも「ママ友」とのお付き合い経験があることでしょう。「ママ友」は「ママどうしの友達」、つまり「ママとしての友達」です。
ここ数年、浪人生の母たちから寄せられる声に必ずあるのが
「ママ友からの『どこに合格したの?』というLINEが辛い」
「ママ友からランチに誘われたけど行きたくない。でも、行かないと今後 仲良くしてもらえないかも」
「ママ友から『お宅の〇〇ちゃんは、優秀だものね。』と言われ、嫌みか?と腹が立った」
という もの。
共通するのは
- 自分の子どもが浪人したことにショックを受けている
- 一方、ママ友の子どもは合格。それもいわゆる有名大学だったり第一志望校だったり
私はこれに「ママ友事案」と名前をつけました。
少子化と大学の定員増加を受けて、浪人生は減る傾向にあります。
浪人生本人は予備校などで仲間をつくることもありますが、「浪人生の母」は孤独。
初めての経験となると、その孤独感は2倍3倍増しです。
合格した子の親から「無神経な連絡」がくるのがとっても辛い。
私に声を聞かせてくださる方の多くがそうおっしゃいます。
正確に統計をとったわけではありませんので批判を承知で書きますが
「ママ友事案」は中高一貫の私立校で、より多く見られるように感じます。
- 6年間の長く深いお付き合いがあること
- 部活ごとに「〇〇部保護者会(ママ会)」の存在が珍しくないこと
- そもそも同じ学校を選んでいる時点で共通する価値観があること
が背景にありそうです。
一般に相手の状況がわからないとき、日本人は「相手の気持ちを忖度し、失礼のないようにふるまう」ことを美徳と考えます。
そして、私たちは「それが普通よね」と期待しています。
この期待が裏切られるのが「ママ友事案」です。
期待が裏切られると激しい感情が起こります。怒りとか悲しみとか悔しさとか。
時には身体にも反応が出るでしょう。カッとなって身体が熱くなる、涙が出る、わなわな震える・・・。
でも、ちょっと待ってください。
本来、友達は学校や職場など、自分が所属するコミュニティでできるものです。
最初はただの知り合いだったのが、だんだんと理解し合い関係性が深くなると「友達」に発展していく。友達になるかどうか、私たちは自分で決めています。
一方、ママ友は「子どもを介してできる」のが特徴です。
もともとは幼児の親どうしが公園で話したり、互いの家に遊びに行ったりという関係になったものを「ママ友」と呼んでいたはず。
それが、いつの間にか子どもが中学生や高校生になっても、学校で子どもを介してつながった母親どうしを「ママ友」と呼ぶように(反抗期真っ盛りの男子から見て、母親は「ママ」なのかという疑問はありますが・・・)。
同じ学校に通うなど、子どもが共通の環境にある親どうしであれば、情報交換したり愚痴を言い合ったりできる友人関係はありがたいものです。とくに反抗期の男子は親と口をききませんからね。
ところが、この「共通の環境」にいる状況には必ず終わりがきます。
卒業は「共通の環境」がなくなるとき。
だとしたら、その「ママ友関係」をこれからも続けて行きますか?
自分の交友関係は自分で選んでよいものです。
そして、受験の結果はよくても悪くても「子どもが負うもの」です。
まずは、そこにきちんと線を引くこと。
あなたの人生も交友関係もあなた自身のもの。
自分で選択していいのですから。
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